【考察】筋道って何?武道から考えてみた
筋の通った人になりたいと思うのは武道家に限った話ではありません。
しかし,筋の通った姿に憧れて武道家を志した人も少なく無いはずです。
一方で,武道家になれば筋道を即座に理解できるわけでもなく,実際に筋の通らない行動をしてしまう人も目立ちます。
そこで今回は武道の視点から,筋道とは何であるかをまとめてみたいと思います。
辞書的意味
「筋道」を知るには「道理」が必要
そもそも筋道という言葉はどういう意味なのでしょうか?
三省堂の大辞林第三版には次のように記されてします。
これによれば,筋道とは物事の道理や順序のことを指すようです。
ここで注目したいのは,「行うにあたって」という部分でしょう。
行動した後に後付けで辻褄合わせをして理論上の順序を正当化できても,それは筋道を踏んだことにはならないのです。
つまり,筋道は物事の道理に適った順番で行動することだと言えます。
では,物事の道理とは何でしょうか?
「道理」の「理」
残念ながら辞書では解説文に筋道という言葉が使われ循環論法に陥っていた為,道理については個々人が考える必要があります。
しかし「あの人の行動は道理に適っていない」や「そのやり方では筋が通らない」等の使い方がされるように,道理はそれを語る人の間で事前に共有されていることが前提になっているようです。
そこで道理に含まれている「理」について調べてみると,大辞林に次の記述がありました。
理由,理論,理屈など「理」を含む熟語で説明される他に,格式・礼儀に適っていることとも書いてあります。
理由や理論,理屈のみであれば個人で完結しますが,格式・礼儀となれば他者との合意が不可欠です。
以降では,道理を個人で完結するものと他者と共有されるものの二つに一度分けて考え,その後に筋道についてまとめます。
個人で完結する道理
個人で完結するような道理は,個人で完結する「理」の道です。確固たる理論,理屈を自分で定め,理由付けも行えるようにします。
一般常識と異なったものだとしても,一貫して行動に移すことが出来る,つまり広く応用が出来る内容であれば道理と呼べるでしょう。
しかし,物理法則や一般常識とずれた内容を道理として判断基準に用いれば,矛盾や拒絶を避けられなくなります。
そのため人間は道理を自分の身の回りから吸収し発達することで,社会に馴染めるよう遺伝子でプログラムされているのです。
つまり道理は作り出すものでは無く,獲得するものだと言えるでしょう。
また獲得した道理は本来可変です。
社会で状況に応じて常識も変化するように,道理も刻々と変化するものですから人間はその変化に対応できるようになっています。
よって個人が既に持つ道理に新しいものを受け入れるかどうかは,遺伝ではなくその個人が既に持つ道理によって決まるのです。
言い換えると,自分自身で一貫性の保ちやすい道理が完成した時,新しい道理が受け入れられることは稀になります。
完成度が高い道理自体何も問題はありませんが,状況が大きく変わり道理が機能しなくなっても保守を促すようなものには注意が必要です。
全ての状況に適用できる個人の判断基準としての道理,そこへと至る道こそが個人で完結する道理なのではないでしょうか。
他者と共有される道理
他者と共有される道理は個人で完結する道理の拡張です。
誰もが全ての状況に適用できる判断基準を目指し,社会は道理を練り続けていました。
科学により体系化された物理法則の他,法律や条例も道理の一つです。
そして最も重要なものが,格式・礼儀となります。
格式・礼儀は他者と関わる上での潤滑油と表されることもありますが,個人関係においてはそれ以上の効果を持つのです。
格式・礼儀はパレート改善の歴史
各個人が協力せず自身の最善を求めて至る均衡状態が,必ずしも他者を犠牲にせず改善する余地がない状態(=パレート最適)ではないことは近代経済学の基本です。
囚人のジレンマのような前者の状態から脱し,後者の状態に至ることをゲーム理論ではパレート改善といいます。
パレート改善の為には皆で協力するか,各個人の判断基準をずらすようなインセンティブ,動機を外部から与える必要があります。
対人関係においてパレート最適を目指し,協力を促したり適切な動機を与えたりするのが格式・礼儀なのです。
よって個人から見れば格式・礼儀が合理的に見えないことがあるのは当然であり,他者がいるからこそ真の価値を発揮するものだと言えます。(格式・礼儀が個人にもたらす効果は存在しますが,割愛します)
また現代までの長い歴史の中で醸成されてきた格式・礼儀を知ることは,昔の社会について知ることに繋がります。
素手や刀で戦うことが無くなって久しい現代において,技が受け継がれてきた社会について知ることは武術の本質を見極める上で非常に役に立つのです。
天災,人災によって失う危険性の多い書物などに比べ,人々の中に受け継がれる格式・礼儀は消えにくい媒体だと言えます。
格式・礼儀には歴史を伝えるという副次的な役割もあるのです。
以上では格式・礼儀に2つの役割を述べました。
では,その格式・礼儀とは具体的に何なのでしょうか?
格式・礼儀は尊重から始まり尊重に終わる
まず初めに,伝統の継承という側面を抜きにして考えてみましょう。
目的が全体の利益の向上である為,他者へ必要以上の不利益をもたらしてはなりません。
そこで登場するのが他者の尊重ですが,これは自分自身と同様に他者が他者の価値観に従って利益を追求することを容認するものです。
人の移動が激しく無かった時代では他者と自分の価値観が大きく異なることもありませんので,人々は気分をお互い害さないよう合意形成を行い,格式や礼儀として体系化しました。
他者に不利益が生じる行動を予測するのは非常に難しく実際に問題が起きてから理解が追い付くことも多いので,ただ従っていれば争いを避けられる格式・礼儀は便利です。
しかし他者の価値観が異なった場合,自身の習得した格式・礼儀は相手にとってただの押し付けになってしまいます。
人々の活動圏が久しく拡大する度に人間は,価値観のぶつかり合いを是正すべく格式・礼儀を見直ししてきました。
様々な改訂の根底には,他者の尊重という原点回帰が常にあったのです。
以上を言い換えると,尊重される対象である価値観が変異すると,格式・礼儀が全く異なってしまうことになります。
即ち全体の利益を最大化する道具としての格式・礼儀は,価値観と同じく流動的で具体的に説明しづらいものなのです。
ここでは具体的説明を実現する為,歴史を継承する為の格式・礼儀を次に取り扱います。
格式・礼儀と感謝・恩返し
様々な武道が存在する中,格式・礼儀を貴重な歴史的資料として残している流派も多数あります。
そのような流派では,格式・礼儀を通して昔の人が尊重した価値観を読み解くことが出来るのです。
つまり武芸者は最初に形から格式・礼儀を学び,根底にある価値観を理解して体現できるようになって初めてその継承者となれます。
継承される価値観が一定なので,格式・礼儀の具体的な説明も可能です。
とはいえ継承する内容は流派それぞれにありますので,相氣一進流に絞って説明を行います。
相氣一進流が継承する価値観の中で最も一般性が高いものは,感謝の念となります。
日本人には馴染み深い感謝の念ですが,その対象は少し特徴的です。
本来,格式・礼儀を守ることは全体の利益に繋がることですから多少の面倒があっても守るのは当たり前です。
しかし,相氣一進流では多くの日本人と同様,他者が自分の為に少しでも不利益を被った場合,それが例え必要なことだったとしても感謝します。
加えて,他者の範囲も直近に限らず自分へ利益をもたらした全てを含みます。
例えば自分を育ててくれた人々,その人々を育てた人々,というように感謝の対象は果てしなく広いのです。
そして「感謝」を恩として自身の中に貯めて置き,恩返しをしようとすることが感謝なのです。
この恩返しの具体的な方法には,贈り物,プレゼントといった簡単なものは勿論,継承者となるというものもあります。
継承者になるとはつまり自分が受けたような利益を,今度は自分が与える側になることです。
根底にある社会全体の利益向上という目的は次代を通して不変ですから,格式・礼儀を継承すること自体も目的に適った行動だと言えます。
この「継承」を感謝の気持ちで以て行うことが,相氣一進流を始めとする様々な場所で大切にされているのです。
つまり,世話になった人からの厚意を断るといった行為は相手の不利益を減らしているように思えても,この価値観において間違った選択だと言えるでしょう。
本節をまとめると,自分の利益の為犠牲を払ってくれた全ての他者に感謝し,自分が利益を与える側になることで恩返しようとすることが,相氣一進流で受け継がれている価値観であり,格式・礼儀もそれに沿うものになっています。
この価値観とそれに基づく格式・礼儀は令和で主流のものと異なりますが,現代人の関係が希薄になりつつあるという問題の解決に大きなヒントを与えてくれるように思えてなりません。
格式・礼儀が様々な武道や伝統芸能を通して継承される意義は,歴史の研究と同様に永遠だと言えるでしょう。
筋の通し方
ここまでで,道理というものが個人または全体の利益を最大化する為の応用性の高い判断基準であり,特に他者が関わる場合は格式・礼儀が重要となることを説明してきました。
最初に述べたように,この道理に適う行動のとり方を解明すれば,筋道を理解できたと言えるでしょう。
独自で生み出した道理に適う行動についての考察はその本人に任せる他ありませんので,ここでは上で具体例を述べた他者と共有している道理に従う場合を示したいと思います。
とはいえ「道理に適う行動をとる」とはつまるところ,道理である物理法則,法,そして格式・礼儀等を把握しそれに従って行動を計画,実践するだけなので単純です。
単純ではありますが,道理の把握や計画,そして何よりも実力が不十分だと実践出来ないのが現実でしょう。
筋を通す人が尊敬を集めることはその困難さの裏返しだと言えます。
武道家として筋を通すことを目指すのであれば,実践にいたるまで必要な行程全てを磨く必要があるのです。
例として相気一進流の感謝の実践について考えてみましょう。
例:感謝の実践
感謝を実践するには,まず自分が受けている恩の確認が必要です。
どんな他者が自分と関わっているかの全容は知識として勉強することも可能ですし,日々行っている礼儀作法からも知ることが出来ます。
また身近な人に聞いてみるのも客観的な意見が得られるので有効です。
そうして感謝する対象を見つけられたら,受けている恩をどのように返すかを考えます。
受けた恩を無駄にしないよう注意しながら,恩返しの方法と必要なもの,時間,能力等を考えていつでも行動に移せるようにするのです。
実際は日常の全てを恩返しに使うことは出来ませんが,恩を無駄にする行為だけは恩の継承を断絶してしまうことになるので優先的に避けるべきでしょう。
どうしても無駄にしてしまうことが分かったならば即急に謝罪し別の形で埋め合わせを図ることになりますが,相手に会えるとも限らないので挽回の機会を当てにしては決してなりません。
恩を見落とさない,恩を無駄にしない,恩はいつか返す,この三つを肝に銘じて自分の行動を選択すれば,筋の通った行動に近付けるはずです。
幾千もの恩を忘れず矛盾しない行動をとり続けるのは困難を極めますが,魅力的な生き様だと言えます。
最後に
筋を通すことがどういうことなのか,お分かりいただけたでしょうか?
険しい道であるからこそ,そこに惹かれる人は後を絶ちません。
相氣一進流では筋の通し方や道理についても技と同じく日々研究することを推奨しています。
新しい発見等がありましたらまた記事に書きたいと思いますので,応援宜しくお願い致します。