【考察】コロナ禍と武道

コロナ禍における武道の在り方とは

COVID-19感染拡大により緊急事態宣言が発令され,東京を含むいくつかの地域では運動施設等に営業自粛が求められている。

買い物でさえも3日に一度まで抑えるよう呼びかけられる状況で,武道の対人稽古は不可能に近い。

終わりの見えない自粛期間に備えオンライン稽古を始める道場も現れ始めたが,通信教育での武道稽古が近年までギャグとして認識されていることを考えればその困難さが伺い知れる。

 

殆どの武道は人と戦うことを前提としており,対人稽古無しでは畳の上の水練同様,実践的な力に欠けてしまうとされている。

故に通信武道は嘲笑の的にされてきた訳だが,コロナ禍でその嘲笑の妥当性を問う必要が出てきた。

戦争が身近にある時代,師と弟子が長期間会えない場合に備え,套路や型などの個人で鍛錬をする術はいくつも開発,継承されている。

対人稽古では無いそれらに比べ,最新の技術を用いた通信稽古が劣るとは考えにくい。

コロナ禍中には間に合わずとも,新しい技術を使った稽古方式の開発は是非すべきことである。

 

では開発の間に合っていない今は何をすべきかというと,答えは既に武道の中にある。

戦時中,師弟が引き裂かれそのまま今生の別れとなることも当然想定される事態であった。

自分が突然いなくなってしまう時に備え,師は技を信頼する弟子の為に体系化し教え,その弟子は信頼を受けて次の世代へと繋いてきた。

信頼の連鎖は尊重となり,武道とはその伝統への尊重と師弟間の信頼との二本立てで継承されてきたとも言える。

歴史の中で練り上げられた稽古方法に,込められた情感に思いを馳せながら今一度向き合えば,自ずと自宅で出来る鍛錬も思いつくはずである。 

以前紹介した自宅で出来る鍛錬法は,運動不足の解消には役立つが相氣一進流の通常稽古全体から見ればごく一部でしかない。

道場で自分が何を教えて貰ったのかよく思い出しながら,そしてその意味を考えながら稽古を続けていこうと思う。